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プロフィール
Takeshi Mogi
Takeshi Mogi
アイラの新聞「イーラハ」日本特派員
バグパイパー(ハイランド+スモール)
ライター&翻訳家などを兼務しています。
アイラ島やスコットランのWEBを運営しています。
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2008年03月09日

美しい日本の私 9

美しい日本の私 9

ウィーンで、多くの名所を訪ねました。ことにウィーンの中心のリングと呼ばれる円形の城壁跡の内側は旧市街で、グスタフ・クリムトの作品を所蔵するベルヴェデーレ、屋根の文様の美しいゴシック建築のザンクト・シュテファン寺院、演劇の催されるブルク・テアターなど、どこも興味深く、素晴らしい場所でした。その中でも、自分にとって特別な場所が国立歌劇場でした。



今世紀始めにはグスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウスが、戦後はカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンが総監督となって最高の音楽を提供してきました。その劇場は19世紀中盤に建てられた新しいものですが、自分の知るクラシック音楽の世界とよく重なるため、愛着がありました。

夏、劇場のスタッフ(オーケストラ、合唱団、大道具方、小道具方、衣装係、その他)はザルツブルクの音楽祭に出張しているか、休暇を取っているため、上演はありません。が、見学ツアーがあったので参加しました。美しい客席の向こうで舞台装置のメンテナンスが行なわれていました。その舞台は驚くほど広く、奥行きは客席の倍、舞台の左右には舞台と同じほどの大きな空間があり、舞台の上には幕や装置や照明を吊る機構がはるか上まで伸びていました。そのシステムは技術の革新と共に何度も改修されてきたのでしょうが、外観、客席、観客が幕間を過ごす回廊などは百数十年前のクラシックな姿、フランツ・ヨーゼフ1世の時代そのままでした。が、その建物が終戦間近の1945年に、空襲で焼け落ちたことも知っていました。焼け残った一部は再建の折に残されたのかもしれませんが、そのほとんどはオリジナルそのままに建て直された新しいものだったのです。

ウィーンの空襲がどのようなものだったのか、ウィーンの戦中戦後がどうだったか、焼け落ちた国立歌劇場がどのようなプロセスで再建されたか私は詳しくは知りませんが、終戦を迎えたウィーンでは数ヶ月のうちに代替の劇場で上演が始まり、10年を掛けた修復の後、国立歌劇場は以前と同じように運営を始めました。

こうした修復はドイツではより大規模に行なわれたようです。美しい古都のニュルンベルクは空襲で街のほとんどが瓦礫と化しましたが、今は何事もなかったかのように、美しい古都の姿が城下に広がっています。行ったことはありませんが、ドレスデンの街は戦後50年以上も掛けて多くの建築物が再建されました。中には、破壊した国の人々の協力を得て修復されたものもあります。もちろん、どこも昔の様を取り戻したわけではなく、新しい街に生まれ変わったところが多いでしょう。

ウィーンの国立歌劇場が建設当初のまま存在しているなら、それに越したことはありません。(もちろん、戦争がなければそれが一番です。)しかし、破壊された建物が丁寧に復元され、かつての姿を取り戻し、今も同じように使われていることに、不思議な感動を覚えたのも確かです。

Takeshi Mogi

この記事へのコメント
Takeshi Mogi 様
戦争によってなくなったものをオリジナルのまま再建する情熱というのはいったいどこからくるのでしょう?
やはり文化の違いなのでしょうか?
でも、それだけでは片付けられないものがあるのでしょうね
Posted by モルト大好き at 2008年03月10日 00:10
モルト大好きさんへ

私の個人的な考えですが、日本人も昔からあるものを保持しようとする気持ちはちゃんとあると思います。国宝級の社寺仏閣はさまざまな大変な手間を掛けて保持されていますし、火災で失われても、最高の技術で復元された建物もあります。ただ、案外に日本人は思い切りが良く、経済的な問題があったり、実用上の利益が歴史的価値や思い入れを超えると、あっさり新しいものに乗り換えることに迷いを感じないのではないでしょうか。物質にとらわれない、ものの失われることを自然に受け入れるという点で仏教的、地震の国で建物は壊れて当たり前という経験が、そういう古いものを顧みない気質の裏にはあるのかもしれません。それが良いことなのか、悪いことなのかは場合によって違うのでしょうが、戦前の建物の多くが海外からの輸入文化によって生み出された明治以降のものなら、そんなものはすでに伝統的建築物ではないのかもしれません。といって、明治以前に戻ることもできずに出来上がったのが今の日本なら、これも仕方のない現実です。鉄筋コンクリートの建物に瓦屋根、襖に畳というのが伝統建築かどうかはわかりませんが、そうしたものに愛着を持つことは明らかに日本人らしい意識だと私は好意的に解釈しています。

ここ百年ほど日本は海外のものが大きく流れ込んで文化的に混乱していますが、日本的なものを理解して愛着を抱けば、ゆるやかな変化を遂げて、新しい日本文化が定着できるかもしれません。そんな時代には、昔あった建物を、お金を掛け、時間を掛けて、再建する心の余裕がでてくるかもしれませんね。

Takeshi Mogi
Posted by Takeshi Mogi at 2008年03月10日 02:04
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