2008年05月06日
宮古島に行ってきました_14
宮古島に行ってきました_14
池間島へ行きました。長い長い橋を渡ってゆきます。本島に風力発電機が3つ見えますが、採算があってるかどうかは分かりません。

小さな島ですが、綺麗な浜がたくさんあります。中には、綱をつたって降りるところもあります。

でも、こんな表示があるところを見ると、砂を持ち出す人もいるのかもしれません。

この島にはタソスというギリシャ料理の店があります。肉料理もありますが、やはり魚の方が美味しかったです。
Takeshi Mogi
池間島へ行きました。長い長い橋を渡ってゆきます。本島に風力発電機が3つ見えますが、採算があってるかどうかは分かりません。

小さな島ですが、綺麗な浜がたくさんあります。中には、綱をつたって降りるところもあります。

でも、こんな表示があるところを見ると、砂を持ち出す人もいるのかもしれません。

この島にはタソスというギリシャ料理の店があります。肉料理もありますが、やはり魚の方が美味しかったです。
Takeshi Mogi
2008年05月04日
テビチ
テビチ
午後、テビチをゆでました。ショウガとテビチを圧力鍋で1時間、小さななべに移して醤油と酒と砂糖で味を調え出来上がり。

瑞泉の水割りが合うこと合うこと、美味しい5分でした。(5分で飲んで食べたから。)
次は何?ビールか、チューハイか、モルトか?
Takeshi Mogi
午後、テビチをゆでました。ショウガとテビチを圧力鍋で1時間、小さななべに移して醤油と酒と砂糖で味を調え出来上がり。

瑞泉の水割りが合うこと合うこと、美味しい5分でした。(5分で飲んで食べたから。)
次は何?ビールか、チューハイか、モルトか?
Takeshi Mogi
2008年04月21日
美しい日本の私_14
美しい日本の私_14
ミュンヘンでの最後の訪問場所はドイチュ・ムゼアム(ドイツ博物館)でした。イザール川沿いの巨大な建物建物の入り口には、ドルニエのVTOL機が置いてありました。

ドイツ博物館は科学技術系の博物館で、巨大な空間には化学系の小さな展示から実物大の坑道、船、飛行機などが大量に、しかも非常に良好な状態で展示されていました。全部見るには5日掛かると言われていますから、半日で見られるものは限られています。が、とにかく展示物は徹底的に楽しく、夢中になってあちらこちらを歩いて回りました。その中で、一番自分が興味を持ったのはV2ミサイルでした。第二次大戦中にヨーロッパ本土から発射され、ロンドンを恐怖に陥れた誘導ミサイルです。当時としては画期的な武器で、基本的な技術は現在のものとほとんど変わらず、ネットで捕獲することも、打ち落とすこともできない恐ろしい武器でした。ヒトラーの命を受けて造ったのはフォン・ブラウンというロケット技術者でした。戦後、彼は裁判にかけられることもなくアメリカに移住、NASAで仕事を続けます。アポロを打ち上げたサターン5型は彼の設計です。

ミサイルもロケットも同じ技術で飛んでいるのは不思議で奇妙なことですが、これは戦車とブルドーザーでも同じことです。V2は白塗りに黒のストライプが入ってちょっとおしゃれな姿ですが、これは発射実験をして、どのように飛ぶのか記録するための塗装です。
Takeshi Mogi
ミュンヘンでの最後の訪問場所はドイチュ・ムゼアム(ドイツ博物館)でした。イザール川沿いの巨大な建物建物の入り口には、ドルニエのVTOL機が置いてありました。

ドイツ博物館は科学技術系の博物館で、巨大な空間には化学系の小さな展示から実物大の坑道、船、飛行機などが大量に、しかも非常に良好な状態で展示されていました。全部見るには5日掛かると言われていますから、半日で見られるものは限られています。が、とにかく展示物は徹底的に楽しく、夢中になってあちらこちらを歩いて回りました。その中で、一番自分が興味を持ったのはV2ミサイルでした。第二次大戦中にヨーロッパ本土から発射され、ロンドンを恐怖に陥れた誘導ミサイルです。当時としては画期的な武器で、基本的な技術は現在のものとほとんど変わらず、ネットで捕獲することも、打ち落とすこともできない恐ろしい武器でした。ヒトラーの命を受けて造ったのはフォン・ブラウンというロケット技術者でした。戦後、彼は裁判にかけられることもなくアメリカに移住、NASAで仕事を続けます。アポロを打ち上げたサターン5型は彼の設計です。

ミサイルもロケットも同じ技術で飛んでいるのは不思議で奇妙なことですが、これは戦車とブルドーザーでも同じことです。V2は白塗りに黒のストライプが入ってちょっとおしゃれな姿ですが、これは発射実験をして、どのように飛ぶのか記録するための塗装です。
Takeshi Mogi
2008年04月18日
美しい日本の私_13
美しい日本の私_13
ザルツブルクを出発した私が最初にたどり着いた場所はバイエルン州の州都ミュンヘンでした。あの有名なルートヴィヒ二世が君主をしていたあの国の首都だった場所です。市立博物館やレジデンツ(宮殿)など、いろいろな所に行きました。歴史的な建物も多いのですが、どちらかと言うと明るいモダンな街でした。ただ、私はたずねた頃にはまだ戦争の傷跡のようなものがところどころに残り、銃痕のある破壊された建物がいくつか眼に写ったのを覚えています。市電に乗ると街中には巨大な広場が見えてきました。オクトバー・フェストと呼ばれるビール祭り用の広場です。ここに大きなビア・ホールのテントが幾つも並び、遊園地も併設されると言うのですから驚きです。駅名にはときどき○○トル・プラッツというのがありますが、これはかつて街が城壁に囲まれていたときの名残りで、門のあった場所を示しています。

この街もウィーンと並ぶ音楽の街です。町の中央には立派なナチオナル・テアター(国立歌劇場)があり、私が行ったときにはGMD(総監督)はN響でも良く振っていたウォルフガンク・サヴァリッシュでした。この劇場も戦争で丸焼けになった劇場のひとつです。夏はお休みで中には入れませんでしたが、劇場の前に立って眺めていると、音楽が聞こえてくるような気がしました。

ミュンヘンには他にも劇場があり、プリンツ・レゲンテン・テアターは戦後、ナチオナル・テアターが再建されるまでオペラが上演されていた劇場です。他にクビリエ・テアターと呼ばれる美しい木造の劇場がありますが、これは戦争で焼け落ちたと思われていた劇場でした。それは有名な歴史建造物で、多くの人が失われたことを残念に思ったのですが、戦後ナチが分解して非難させていたのが見つかって、現在はレジデンツの一角に再建され、小規模なオペラの上演に使われています。

夜は有名なホフブロイ・ハウスに食事に行きました。1リットルのビールを片手に名物のヴァイス・ヴルスト(白いソーセージ)とザワー・クラウト(酸っぱいキャベツ)が夕食でした。ヒトラーがドイツ労働党の旗揚げをしたのも、このビア・ホールでした。
話は変わりますが、ここミュンヘンは作曲家リヒャルト・シュトラウスの生地でもあります。以前マイケル・ジャクソンと話しをしたとき、ちょっとこの話が出たとき、彼は私に尋ねました。「シュトラウスの母親の実家は醸造所だろう、どこだか知ってているか?」私は完全に度忘れして、口ごもってしまいました。彼は笑いながら、「プショールだよ」と教えてくれました。ハッカー・プショール社は今もビールを作っており、直営のビア・ホールもあります。
Takeshi Mogi
ザルツブルクを出発した私が最初にたどり着いた場所はバイエルン州の州都ミュンヘンでした。あの有名なルートヴィヒ二世が君主をしていたあの国の首都だった場所です。市立博物館やレジデンツ(宮殿)など、いろいろな所に行きました。歴史的な建物も多いのですが、どちらかと言うと明るいモダンな街でした。ただ、私はたずねた頃にはまだ戦争の傷跡のようなものがところどころに残り、銃痕のある破壊された建物がいくつか眼に写ったのを覚えています。市電に乗ると街中には巨大な広場が見えてきました。オクトバー・フェストと呼ばれるビール祭り用の広場です。ここに大きなビア・ホールのテントが幾つも並び、遊園地も併設されると言うのですから驚きです。駅名にはときどき○○トル・プラッツというのがありますが、これはかつて街が城壁に囲まれていたときの名残りで、門のあった場所を示しています。

この街もウィーンと並ぶ音楽の街です。町の中央には立派なナチオナル・テアター(国立歌劇場)があり、私が行ったときにはGMD(総監督)はN響でも良く振っていたウォルフガンク・サヴァリッシュでした。この劇場も戦争で丸焼けになった劇場のひとつです。夏はお休みで中には入れませんでしたが、劇場の前に立って眺めていると、音楽が聞こえてくるような気がしました。

ミュンヘンには他にも劇場があり、プリンツ・レゲンテン・テアターは戦後、ナチオナル・テアターが再建されるまでオペラが上演されていた劇場です。他にクビリエ・テアターと呼ばれる美しい木造の劇場がありますが、これは戦争で焼け落ちたと思われていた劇場でした。それは有名な歴史建造物で、多くの人が失われたことを残念に思ったのですが、戦後ナチが分解して非難させていたのが見つかって、現在はレジデンツの一角に再建され、小規模なオペラの上演に使われています。

夜は有名なホフブロイ・ハウスに食事に行きました。1リットルのビールを片手に名物のヴァイス・ヴルスト(白いソーセージ)とザワー・クラウト(酸っぱいキャベツ)が夕食でした。ヒトラーがドイツ労働党の旗揚げをしたのも、このビア・ホールでした。
話は変わりますが、ここミュンヘンは作曲家リヒャルト・シュトラウスの生地でもあります。以前マイケル・ジャクソンと話しをしたとき、ちょっとこの話が出たとき、彼は私に尋ねました。「シュトラウスの母親の実家は醸造所だろう、どこだか知ってているか?」私は完全に度忘れして、口ごもってしまいました。彼は笑いながら、「プショールだよ」と教えてくれました。ハッカー・プショール社は今もビールを作っており、直営のビア・ホールもあります。
Takeshi Mogi
2008年04月18日
美しい日本の私_12
美しい日本の私_12
夏期講習が終わったザルツブルグを去る日が来ました。下宿のL婦人は私にモーツァルト・クーゲルと呼ばれるお菓子をお土産にくれました。「これはミラベルの本物だよ」と言って渡してくれました。これはマジパンをチョコレートで包んだお菓子で、世界各地で作られていますが、本家はザルツブルクのミラベル社なのです。他の会社のものは調理台の上で作るので歪んでいますが、ミラベルのものは独特の方法で作るため完全な球形をしています。今は赤いパッケージですが、その当時は青い箱でした。

私はL夫人にお別れを言い、ザルツブルクの駅から電車に乗り、フライラッシングで国境を越え、ドイツに入りました。1週間のドイツ旅行の始まりでした。
Takeshi Mogi
夏期講習が終わったザルツブルグを去る日が来ました。下宿のL婦人は私にモーツァルト・クーゲルと呼ばれるお菓子をお土産にくれました。「これはミラベルの本物だよ」と言って渡してくれました。これはマジパンをチョコレートで包んだお菓子で、世界各地で作られていますが、本家はザルツブルクのミラベル社なのです。他の会社のものは調理台の上で作るので歪んでいますが、ミラベルのものは独特の方法で作るため完全な球形をしています。今は赤いパッケージですが、その当時は青い箱でした。

私はL夫人にお別れを言い、ザルツブルクの駅から電車に乗り、フライラッシングで国境を越え、ドイツに入りました。1週間のドイツ旅行の始まりでした。
Takeshi Mogi
2008年04月17日
美しい日本の私_11
美しい日本の私 11
ウィーンから帰り、ザルツブルグでの夏期講習がさらに続きました。ドイツ語の授業を受け、メンザ(学食)で食事をし、午後は町の散策という日が続きました。古い町で、どこも石畳、入り組んだ道に面してさまざまな店がありました。朝一番に開いていたのは大きな古い石門の横の牛乳屋さんだったと思います。そこを通ると川辺に出て、大量の楽譜が並んだ書店がありました。近くに雑貨商があり、良く食料品を買ったように思います。喫茶店も数件あり、屋外に机と椅子を出す店も少なくありませんでした。ある日そんな一軒で、アイスコーヒーがあって驚きました。私はその瞬間まで、ヨーロッパでアイスコーヒーを見たことがありませんでした。その店にしてはちょっと高いメニューだったのですが、つい頼んでしまいました。ところが、来たものを見てびっくり。パフェのグラスの底に少量のコーヒーが見えるだけで、上には山盛りのアイスクリームです。あ、そうかと思いました。ドイツ語でEisはアイスクリームのことなのです。結局気分を入れ替えて、全部食べてしまいました。夏の暑い日だったので、それも悪くありませんでした。おなかがいっぱいになりました。

夏期講習が終わりに近づいたある日、私たちのクラスの先生が「みんなでビアホールに行きましょう」と誘ってくれました。ザルツブルグ城へ上がるケーブルカーの駅のすぐ下のビヤホールに先生を含んだ15人くらいが集まりました。もちろんほとんどがビールを頼みましたが、数人はトラオベン・ザフト(ぶどうジュース)などのノン・アルコールでした。ポーランド人のSはアルコールがまったくだめで、飲むと倒れてしまうと言っていました。特にテーマもなく、雑談をしながらビールを飲み干し、外に出るととても涼しい夜でした。ビアホールの前は広場で、地面に大きなチェスの升目が描かれており、昼間は丸椅子ほどもある大きなチェスの駒を動かして、ご老人たちがゲームを楽しんでいる場所でした。Sがアイスクリームを食べるというので、一緒に歩いてゆきました。ミラベル・プラッツの向こうの行ったこともない場所に、暗闇に浮かんだようにアイスクリーム屋が開いていました。
Takeshi Mogi
ウィーンから帰り、ザルツブルグでの夏期講習がさらに続きました。ドイツ語の授業を受け、メンザ(学食)で食事をし、午後は町の散策という日が続きました。古い町で、どこも石畳、入り組んだ道に面してさまざまな店がありました。朝一番に開いていたのは大きな古い石門の横の牛乳屋さんだったと思います。そこを通ると川辺に出て、大量の楽譜が並んだ書店がありました。近くに雑貨商があり、良く食料品を買ったように思います。喫茶店も数件あり、屋外に机と椅子を出す店も少なくありませんでした。ある日そんな一軒で、アイスコーヒーがあって驚きました。私はその瞬間まで、ヨーロッパでアイスコーヒーを見たことがありませんでした。その店にしてはちょっと高いメニューだったのですが、つい頼んでしまいました。ところが、来たものを見てびっくり。パフェのグラスの底に少量のコーヒーが見えるだけで、上には山盛りのアイスクリームです。あ、そうかと思いました。ドイツ語でEisはアイスクリームのことなのです。結局気分を入れ替えて、全部食べてしまいました。夏の暑い日だったので、それも悪くありませんでした。おなかがいっぱいになりました。

夏期講習が終わりに近づいたある日、私たちのクラスの先生が「みんなでビアホールに行きましょう」と誘ってくれました。ザルツブルグ城へ上がるケーブルカーの駅のすぐ下のビヤホールに先生を含んだ15人くらいが集まりました。もちろんほとんどがビールを頼みましたが、数人はトラオベン・ザフト(ぶどうジュース)などのノン・アルコールでした。ポーランド人のSはアルコールがまったくだめで、飲むと倒れてしまうと言っていました。特にテーマもなく、雑談をしながらビールを飲み干し、外に出るととても涼しい夜でした。ビアホールの前は広場で、地面に大きなチェスの升目が描かれており、昼間は丸椅子ほどもある大きなチェスの駒を動かして、ご老人たちがゲームを楽しんでいる場所でした。Sがアイスクリームを食べるというので、一緒に歩いてゆきました。ミラベル・プラッツの向こうの行ったこともない場所に、暗闇に浮かんだようにアイスクリーム屋が開いていました。
Takeshi Mogi
2008年04月16日
宮古島に行ってきました_13
宮古島に行ってきました_13
さて、宮古島といえば泡盛です。小さな島になんと7つの酒造所があります。で、行ったのは多良川という島の南の酒造所でした。

当然といえば当然ですが、試飲コーナーやショップがあり、お願いすると予約もないのに案内してくれました。さて、泡盛はタイ産のインディカ米を材料に、黒麹を使って糖化し、1回蒸留し、パッドを使ってろ過して油分を除いて味を調えます。下の写真は米をふかす機械と発酵槽です。

蒸留器はスチーム式の単式蒸留器とのことでした。あんまりモダンでびっくりしてしまいました。写真は蒸留器とスチーム発生装置です。

出来上がったスピリッツはかなりオイリーらしく、フィルターで除去して味を調えるといっていました。この時のフィルターは紙のようでしたが、他の素材もあるようで、使い分けて風味を残しながらすっきりしたものに仕上げるようでした。

多良川ではクースー(古酒)もありますが、いずれもタンク熟成のようでした。ただ、昔蒸留したものがカメに残っていて、これらは家族用とのことでした。

他に、防空壕を利用した保管庫があり、カメに入れた泡盛を預かって熟成するというサービスもありました。とても涼しい場所で、こちらはカメなので、熟成しそうな雰囲気がありました。
何種類か飲ませてもらいましたが、ボディのある、どちらかというとトロリとした感じの、香りの強い泡盛で、なかなかです。3種類ほど買って、持ち帰りましたが、味の強い食べ物のほうが相性が良いようです。他に酢なんかも売っていました。かなり商品の幅が広かったと記憶しています。
Takeshi Mogi
さて、宮古島といえば泡盛です。小さな島になんと7つの酒造所があります。で、行ったのは多良川という島の南の酒造所でした。

当然といえば当然ですが、試飲コーナーやショップがあり、お願いすると予約もないのに案内してくれました。さて、泡盛はタイ産のインディカ米を材料に、黒麹を使って糖化し、1回蒸留し、パッドを使ってろ過して油分を除いて味を調えます。下の写真は米をふかす機械と発酵槽です。

蒸留器はスチーム式の単式蒸留器とのことでした。あんまりモダンでびっくりしてしまいました。写真は蒸留器とスチーム発生装置です。

出来上がったスピリッツはかなりオイリーらしく、フィルターで除去して味を調えるといっていました。この時のフィルターは紙のようでしたが、他の素材もあるようで、使い分けて風味を残しながらすっきりしたものに仕上げるようでした。

多良川ではクースー(古酒)もありますが、いずれもタンク熟成のようでした。ただ、昔蒸留したものがカメに残っていて、これらは家族用とのことでした。

他に、防空壕を利用した保管庫があり、カメに入れた泡盛を預かって熟成するというサービスもありました。とても涼しい場所で、こちらはカメなので、熟成しそうな雰囲気がありました。
何種類か飲ませてもらいましたが、ボディのある、どちらかというとトロリとした感じの、香りの強い泡盛で、なかなかです。3種類ほど買って、持ち帰りましたが、味の強い食べ物のほうが相性が良いようです。他に酢なんかも売っていました。かなり商品の幅が広かったと記憶しています。
Takeshi Mogi
2008年04月08日
宮古島に行ってきました_12
宮古島に行ってきました_12
島の南のあるゴルフ場でお茶にしました。冷たいジュースでのどを潤していると、遠くのコースで何か動いています。・・・カモ・・かな?

ゴルフ場の人に確認したわけではありませんが、恐らくは害虫駆除の目的で飼っているのではないかと思います。写真に写っている他にも、あとからあとから連なって出てきました。いったい何羽いるんだろう、と思いました。
Takeshi Mogi
島の南のあるゴルフ場でお茶にしました。冷たいジュースでのどを潤していると、遠くのコースで何か動いています。・・・カモ・・かな?

ゴルフ場の人に確認したわけではありませんが、恐らくは害虫駆除の目的で飼っているのではないかと思います。写真に写っている他にも、あとからあとから連なって出てきました。いったい何羽いるんだろう、と思いました。
Takeshi Mogi
2008年04月08日
宮古島に行ってきました_11
宮古島に行ってきました_11
さて、いかにきれいな宮古島といえど、海の汚れには敵いません。浜にはやはりゴミが打ち上げられていました。漁具や、ペットボトル、洗剤のポリビンなど。表記は多くがハングル、次が中国語で、日本語のものはほとんどありませんが、これはご存知の通り、日本海の海流にしたがって自国のものが他国に流れる構造ゆえで、日本人がゴミを捨てないということではありません。ゴミの量は浜の位置、海流、清掃の度合いにもよりますが、一般に浜辺はきれいで、より高い位置に打ち上げられたものが残っているようでした。

まぁ、人口から考えて、すべての浜を定期的に清掃するのは不可能です。海水浴に使われる浜はゴミがほとんどないので、地元は清掃に努力していると考えてよいでしょう。それと、これは私の率直な感想ですが、こんな写真を載せはしましたが、宮古の海も浜も、自分の知るどの日本の海よりもきれいです。
Takeshi Mogi
さて、いかにきれいな宮古島といえど、海の汚れには敵いません。浜にはやはりゴミが打ち上げられていました。漁具や、ペットボトル、洗剤のポリビンなど。表記は多くがハングル、次が中国語で、日本語のものはほとんどありませんが、これはご存知の通り、日本海の海流にしたがって自国のものが他国に流れる構造ゆえで、日本人がゴミを捨てないということではありません。ゴミの量は浜の位置、海流、清掃の度合いにもよりますが、一般に浜辺はきれいで、より高い位置に打ち上げられたものが残っているようでした。

まぁ、人口から考えて、すべての浜を定期的に清掃するのは不可能です。海水浴に使われる浜はゴミがほとんどないので、地元は清掃に努力していると考えてよいでしょう。それと、これは私の率直な感想ですが、こんな写真を載せはしましたが、宮古の海も浜も、自分の知るどの日本の海よりもきれいです。
Takeshi Mogi
2008年04月06日
宮古島に行ってきました_10
宮古島に行ってきました_10
宮古島は珊瑚でできていますので、当然島全体が石灰石ということになります。石灰は雨水に溶けて地下の空洞に流れ、析出して鍾乳洞になります。写真はその鍾乳洞のひとつの入り口です。

入場料はひとり200円だったと思いますが、なかなかきれいでその価値はありました。ただ、個人所有で管理に限界があり、折れた石柱も結構多かったように思います。
中は撮影禁止でした。見ると棚があり、泡盛のビンが大量に置いてあります。地面に突き刺しているものや、寝転がしてあるものもありました。聞くと、有料で預かっているのだといいます。
Q:美味しくなるの?
A:美味しくなりますよ!
熟成・・・しないよね。でも、なにがしかの効果が得られるのかもしれません。テイスティングのイベントもあるようでした。ビンの保管料は年間2500円だったと思います。
Takeshi Mogi
付録
先日、方言とファミマが好評だったので、追加の写真を掲載します。これも結構おかしいですね。
宮古島は珊瑚でできていますので、当然島全体が石灰石ということになります。石灰は雨水に溶けて地下の空洞に流れ、析出して鍾乳洞になります。写真はその鍾乳洞のひとつの入り口です。

入場料はひとり200円だったと思いますが、なかなかきれいでその価値はありました。ただ、個人所有で管理に限界があり、折れた石柱も結構多かったように思います。
中は撮影禁止でした。見ると棚があり、泡盛のビンが大量に置いてあります。地面に突き刺しているものや、寝転がしてあるものもありました。聞くと、有料で預かっているのだといいます。
Q:美味しくなるの?
A:美味しくなりますよ!
熟成・・・しないよね。でも、なにがしかの効果が得られるのかもしれません。テイスティングのイベントもあるようでした。ビンの保管料は年間2500円だったと思います。
Takeshi Mogi
付録
先日、方言とファミマが好評だったので、追加の写真を掲載します。これも結構おかしいですね。
2008年04月04日
宮古島に行ってきました_9
宮古島に行ってきました_9
宮古島の交通は車だけのように思います。バスもあるのかな?見た気がしません。タクシーは良く走っています。みんな安全運転で、40キロで走っています。パトカーは見たことがありません。でも、いるだろうなぁ。
走っていると、結構タイトなタイミングで出てくる車がいて、時々怖いことがありますが、そうして入ってきた車も40キロで走ります。島の人の運転は、いい加減なことが結構あります。追い越そうとすると右によってきたりします。別に悪意はありません。後ろを見ていないだけです。でも、とても怖いです。
看板を見る限り、この島では飲酒運転が問題なようです。

一部何が書いてあるか分かりませんが、説明付きなのでおおむね分かります。
一度通り過ぎたのですが、あんまりおかしいので戻って写真を撮りました。
Takeshi Mogi
宮古島の交通は車だけのように思います。バスもあるのかな?見た気がしません。タクシーは良く走っています。みんな安全運転で、40キロで走っています。パトカーは見たことがありません。でも、いるだろうなぁ。
走っていると、結構タイトなタイミングで出てくる車がいて、時々怖いことがありますが、そうして入ってきた車も40キロで走ります。島の人の運転は、いい加減なことが結構あります。追い越そうとすると右によってきたりします。別に悪意はありません。後ろを見ていないだけです。でも、とても怖いです。
看板を見る限り、この島では飲酒運転が問題なようです。

一部何が書いてあるか分かりませんが、説明付きなのでおおむね分かります。
一度通り過ぎたのですが、あんまりおかしいので戻って写真を撮りました。
Takeshi Mogi
2008年04月03日
宮古島に行ってきました_8
宮古島に行ってきました_8
島の飲み物は本当に一杯あります。ドラゴンフルーツやマンゴ、パッションフルーツのジュース。さんぴん茶やウコン茶など。島中に自動販売機があって、どれもギンギンに冷えています。この島の人たちは、どうやら、というか当然に、冷たいものが好きなようです。アルコールならオリオンビール、泡盛はこの島でも幾つか蒸留所があっていろいろな種類のものが手に入ります。
ところで、私のお気に入りはこれ。サトウキビジュースです。この島では製糖所もあって島中でサトウキビを育てています。

サトウキビジュースはビン入りや絞ったものを容器からコップに注いでくれるところもありますが、多くはその場で絞って氷を入れてくれます。専用の小型の絞り器があり、表面を剥いたサトウキビを入れると緑茶色の甘い液体が出てきます。味は本当にいろいろ。青臭いの、薄いの、濃厚なの、やや茶色いの、黒糖味のなど。このおじさんは池間島の橋の出口でお店をやっている人で、手作りの絵葉書なんかも売っていました。ジュースの味はやや青臭くさっぱりとして美味。100円でした。
Takeshi Mogi
島の飲み物は本当に一杯あります。ドラゴンフルーツやマンゴ、パッションフルーツのジュース。さんぴん茶やウコン茶など。島中に自動販売機があって、どれもギンギンに冷えています。この島の人たちは、どうやら、というか当然に、冷たいものが好きなようです。アルコールならオリオンビール、泡盛はこの島でも幾つか蒸留所があっていろいろな種類のものが手に入ります。
ところで、私のお気に入りはこれ。サトウキビジュースです。この島では製糖所もあって島中でサトウキビを育てています。

サトウキビジュースはビン入りや絞ったものを容器からコップに注いでくれるところもありますが、多くはその場で絞って氷を入れてくれます。専用の小型の絞り器があり、表面を剥いたサトウキビを入れると緑茶色の甘い液体が出てきます。味は本当にいろいろ。青臭いの、薄いの、濃厚なの、やや茶色いの、黒糖味のなど。このおじさんは池間島の橋の出口でお店をやっている人で、手作りの絵葉書なんかも売っていました。ジュースの味はやや青臭くさっぱりとして美味。100円でした。
Takeshi Mogi
2008年04月03日
宮古島に行ってきました_7
宮古島に行ってきました_7
悟空というお店に行きました。平良の海岸通りにあります。いろいろ食べましたが、宮古牛のお寿司美味しかったです。と、メニューにヤシガニがあるので注文してみました。ちょっと高いけど、物は試しです。身はあっさりとしてまぁまぁ、でも味噌が凄く多くてびっくり。ちょっと苦味があって美味しい。
帰りにお店の入り口でそのヤシガニを発見。お店で飼っているようです。でかい。

お店の人がケージから出して見せてくれました。「凶暴ですよ。ハサミ強いし、掴んだら放しません。」お箸を突き出すとグッと構えます。箸挟んで放さないし。で、お店の人が背中を掴んで見せてくれました。「やってみます?」いえいえ、結構ですと遠慮しました。でも、面白かったです。
Takeshi Mogi
悟空というお店に行きました。平良の海岸通りにあります。いろいろ食べましたが、宮古牛のお寿司美味しかったです。と、メニューにヤシガニがあるので注文してみました。ちょっと高いけど、物は試しです。身はあっさりとしてまぁまぁ、でも味噌が凄く多くてびっくり。ちょっと苦味があって美味しい。
帰りにお店の入り口でそのヤシガニを発見。お店で飼っているようです。でかい。

お店の人がケージから出して見せてくれました。「凶暴ですよ。ハサミ強いし、掴んだら放しません。」お箸を突き出すとグッと構えます。箸挟んで放さないし。で、お店の人が背中を掴んで見せてくれました。「やってみます?」いえいえ、結構ですと遠慮しました。でも、面白かったです。
Takeshi Mogi
2008年04月01日
宮古島に行ってきました_6
宮古島に行ってきました_6
さて、伊良部もきれいな海で一杯です。人口が少ないので、なおさらです。ところで、ここには日本で唯一の民間機訓練飛行場があります。他の飛行場から客なしで飛んできて着陸とタッチ&ゴーの練習をします。それはもう周到で、何度も何度も同じ飛行機が繰り返し練習し、そんな飛行機が何機も飛来するのです。どんなぐあいって、こんな具合です。

で、頭の上を轟音を轟かせながら越えた後・・・

こんな風に着地です。

いやもう、その迫力たるや、凄いもんです。測ってはいませんが、恐らく4~5分に1回は見られるのではないでしょうか。他にもたくさんの人が見物に来ていて、中にはカメラ3台持って撮影に来ていた人も居ました。何度も見ちゃいました。
Takeshi Mogi
さて、伊良部もきれいな海で一杯です。人口が少ないので、なおさらです。ところで、ここには日本で唯一の民間機訓練飛行場があります。他の飛行場から客なしで飛んできて着陸とタッチ&ゴーの練習をします。それはもう周到で、何度も何度も同じ飛行機が繰り返し練習し、そんな飛行機が何機も飛来するのです。どんなぐあいって、こんな具合です。

で、頭の上を轟音を轟かせながら越えた後・・・

こんな風に着地です。

いやもう、その迫力たるや、凄いもんです。測ってはいませんが、恐らく4~5分に1回は見られるのではないでしょうか。他にもたくさんの人が見物に来ていて、中にはカメラ3台持って撮影に来ていた人も居ました。何度も見ちゃいました。
Takeshi Mogi
2008年04月01日
宮古島に行ってきました_5
宮古島に行ってきました_5
宮古島には平良という港町があります。ここが島の中心です。ここからフェリーで伊良部島に渡りました。小さなフェリーでバックで入れます。早い者勝ちでフェリーの前に並び、切符を買います。

たった20分で伊良部に着きます。途中で遠くに橋を造っているのが見えます。フェリーで20分の距離に橋を造るのはものすごい距離です。いったい幾ら掛かるんだろう?

港から走るとすぐ浜があったので降りて浜辺に行きました。きれいな浜辺でしたが、波打ち際から数メートル離れた場所はサンゴのカケラだらけです。それも場所によっては1メートル以上も積もってる。砂も混じってるけど、ほとんどサンゴです。

高みになってるところに乗るとガラガラとサンゴの山が崩れます。すごい。
Takeshi Mogi
宮古島には平良という港町があります。ここが島の中心です。ここからフェリーで伊良部島に渡りました。小さなフェリーでバックで入れます。早い者勝ちでフェリーの前に並び、切符を買います。

たった20分で伊良部に着きます。途中で遠くに橋を造っているのが見えます。フェリーで20分の距離に橋を造るのはものすごい距離です。いったい幾ら掛かるんだろう?

港から走るとすぐ浜があったので降りて浜辺に行きました。きれいな浜辺でしたが、波打ち際から数メートル離れた場所はサンゴのカケラだらけです。それも場所によっては1メートル以上も積もってる。砂も混じってるけど、ほとんどサンゴです。

高みになってるところに乗るとガラガラとサンゴの山が崩れます。すごい。
Takeshi Mogi
2008年03月31日
宮古島に行ってきました_4
宮古島に行ってきました_4
宮古島には独特な食べ物がいろいろありますが、私が楽しみにしているのはテビチ、豚足です。他の食べ方もあるとは思いますが、宮古島ではおでんにするのがスタンダードなようです。

沖縄よりも薄味で、さっぱりしています。(沖縄のはより濃い口で、甘い味付けだと思う。)たからというお店が有名ですが、食べたことはありません。今回は毎日食べていましたが、買っていたのはファミリーマートでした。日本で最南端にあるファミリーマートだそうです。他のコンビにも行きましたが、なぜかファミリーマートだけがテビチやソーキ、揚げかまぼこなどのおでんを扱っているようでした。

日によってゆで具合はいろいろでしたが、初日に美味しかったため、毎日食べてしまい、他で食べる機会を完全に失ってしまいました。他に、卵とスパムのおにぎりや、島の名産である雪塩のおにぎりなんてものも売っていました。もちろん、島の泡盛も。今回、泡盛が気に入ってしまい、なぜか毎日泡盛でした。人によりお好みは違うでしょうが、今回は菊之露がお気に入りとなりました。ストレートだと甘く、水を入れるとライトで爽快な飲み心地でした。
Takeshi Mogi
宮古島には独特な食べ物がいろいろありますが、私が楽しみにしているのはテビチ、豚足です。他の食べ方もあるとは思いますが、宮古島ではおでんにするのがスタンダードなようです。

沖縄よりも薄味で、さっぱりしています。(沖縄のはより濃い口で、甘い味付けだと思う。)たからというお店が有名ですが、食べたことはありません。今回は毎日食べていましたが、買っていたのはファミリーマートでした。日本で最南端にあるファミリーマートだそうです。他のコンビにも行きましたが、なぜかファミリーマートだけがテビチやソーキ、揚げかまぼこなどのおでんを扱っているようでした。

日によってゆで具合はいろいろでしたが、初日に美味しかったため、毎日食べてしまい、他で食べる機会を完全に失ってしまいました。他に、卵とスパムのおにぎりや、島の名産である雪塩のおにぎりなんてものも売っていました。もちろん、島の泡盛も。今回、泡盛が気に入ってしまい、なぜか毎日泡盛でした。人によりお好みは違うでしょうが、今回は菊之露がお気に入りとなりました。ストレートだと甘く、水を入れるとライトで爽快な飲み心地でした。
Takeshi Mogi
2008年03月31日
宮古島に行って来ました_3
宮古島に行って来ました_3
宮古島といえば、私にとってはとにかく海と浜です。宮古島本島、橋でつながった池間島と来間島、フェリーで行く伊良部島など、どこもきれいな砂浜だらけです。それはいっぱいあって、地図に載っていない浜もたくさんあります。地元の人に名前を聞いても知らないもの、恐らく名前のない浜もあるでしょう。長い長い砂浜もありますが、岩場にできた小さな浜もあります。どこも魚がいっぱいで、浅いところにも必ずいます。

砂はとても細かく、白く、少しですが貝がらや砂利、サンゴのカケラ磨り減ったガラスが含まれていることもあります。
Takeshi Mogi
宮古島といえば、私にとってはとにかく海と浜です。宮古島本島、橋でつながった池間島と来間島、フェリーで行く伊良部島など、どこもきれいな砂浜だらけです。それはいっぱいあって、地図に載っていない浜もたくさんあります。地元の人に名前を聞いても知らないもの、恐らく名前のない浜もあるでしょう。長い長い砂浜もありますが、岩場にできた小さな浜もあります。どこも魚がいっぱいで、浅いところにも必ずいます。

砂はとても細かく、白く、少しですが貝がらや砂利、サンゴのカケラ磨り減ったガラスが含まれていることもあります。
Takeshi Mogi
2008年03月31日
宮古島に行って来ました_2
宮古島に行って来ました_2
東京から那覇経由で行きました。乗り継ぎの間にヤギのミルクを飲みました。私の好物です。その後で見つけたのが、沖縄の地元ビール、ヘリオスのゴーヤ-DRYです。かなり軽めのビールですっきりしています。ただし、ゴーヤの苦味があって、ニガイ!でも、飲んでいるうちに慣れてくるから不思議です。結構美味しい、でも、500円は高いような気もします。

石垣島の牛弁当というのも食べました。高かったけど、つい買ってしまった。う~ん、まぁ、こんなもんか。わさび醤油で食べるのですが、ちょっと薄味で私の趣味ではありませんでした。空港では、こんなのにもお目にかかることができました。

ただ、聞いたところ、中は座席のカバーにロゴが入っているくらいで、べつにピカチューが居たりはしないとのことでした。
Takeshi Mogi
東京から那覇経由で行きました。乗り継ぎの間にヤギのミルクを飲みました。私の好物です。その後で見つけたのが、沖縄の地元ビール、ヘリオスのゴーヤ-DRYです。かなり軽めのビールですっきりしています。ただし、ゴーヤの苦味があって、ニガイ!でも、飲んでいるうちに慣れてくるから不思議です。結構美味しい、でも、500円は高いような気もします。

石垣島の牛弁当というのも食べました。高かったけど、つい買ってしまった。う~ん、まぁ、こんなもんか。わさび醤油で食べるのですが、ちょっと薄味で私の趣味ではありませんでした。空港では、こんなのにもお目にかかることができました。

ただ、聞いたところ、中は座席のカバーにロゴが入っているくらいで、べつにピカチューが居たりはしないとのことでした。
Takeshi Mogi
2008年03月31日
宮古島に行ってきました_1
宮古島に行ってきました_1
え~、突然ですが、先週木曜から宮古島に行っていました。純粋に、休暇です。でも、せっかくですから、ゆっくりとですが、旅のご報告をいたします。

お天気は木曜、金曜が晴れ、土曜が曇り、日曜は雨ときどき曇りでした。気温は雨でも20度を軽く超え、波が高くて日曜は泳げませんでしたが、それ以外は夏気分、楽しい休日でした。
Takeshi Mogi
え~、突然ですが、先週木曜から宮古島に行っていました。純粋に、休暇です。でも、せっかくですから、ゆっくりとですが、旅のご報告をいたします。

お天気は木曜、金曜が晴れ、土曜が曇り、日曜は雨ときどき曇りでした。気温は雨でも20度を軽く超え、波が高くて日曜は泳げませんでしたが、それ以外は夏気分、楽しい休日でした。
Takeshi Mogi
2008年03月16日
美しい日本の私 10
美しい日本の私 10
美しいウィーンを離れる日の朝、宿泊している宿での朝食でのことです。ドイツ、オーストリアの宿はホテルのほか、部屋数の少ない簡易宿舎のペンジオーンもありますが、どちらも朝食はコーヒーか紅茶、ハム類(シンケン)、ジャム、バター、レバー・ペーストとリッチなのが普通です。ただ、玉子焼きなどの温かいものは別料金というところが多かったように思います。

さて、なぜかは覚えていないのですが、朝食の席で南アフリカ(当時はまだアパルトヘイトの国でした)から来たと言う老人と相席になりました。オーストリアに帰って暮らすというような話を聞いたように記憶しています。私がパンに何のジャムを塗ろうかと選んでいると、レバー・ペーストが美味しいと勧めてくれました。すると、別料金のゆで卵が老人の目の前に運ばれてきました。私が、「あれ、どう食べるんだ?」と考えている目の前で、卵立てに乗った卵をナイフでガリガリと横に切り、塩を振り、まずは上を、次に下をスプーンですくって食べました。日本で見たことのない風景におどろきましたが、驚いた顔は見せずに私は朝食を済ませました。卵立ての真の機能を見たような気もしました。実は、伝統的な丸パンのカイザーゼンメルもハンバーグのバンズよろしく横からナイフを入れているのを以前から眼にしていました。

これ以後、この卵切りの風景を、私は何度も眼にすることになります。自分でもやってみましたが、殻も入りますし、黄身がこぼれることもあります。やはり手で剥いたほうが上手に食べられますが、お国柄とはこういうものだと思いました。
Takeshi Mogi
美しいウィーンを離れる日の朝、宿泊している宿での朝食でのことです。ドイツ、オーストリアの宿はホテルのほか、部屋数の少ない簡易宿舎のペンジオーンもありますが、どちらも朝食はコーヒーか紅茶、ハム類(シンケン)、ジャム、バター、レバー・ペーストとリッチなのが普通です。ただ、玉子焼きなどの温かいものは別料金というところが多かったように思います。

さて、なぜかは覚えていないのですが、朝食の席で南アフリカ(当時はまだアパルトヘイトの国でした)から来たと言う老人と相席になりました。オーストリアに帰って暮らすというような話を聞いたように記憶しています。私がパンに何のジャムを塗ろうかと選んでいると、レバー・ペーストが美味しいと勧めてくれました。すると、別料金のゆで卵が老人の目の前に運ばれてきました。私が、「あれ、どう食べるんだ?」と考えている目の前で、卵立てに乗った卵をナイフでガリガリと横に切り、塩を振り、まずは上を、次に下をスプーンですくって食べました。日本で見たことのない風景におどろきましたが、驚いた顔は見せずに私は朝食を済ませました。卵立ての真の機能を見たような気もしました。実は、伝統的な丸パンのカイザーゼンメルもハンバーグのバンズよろしく横からナイフを入れているのを以前から眼にしていました。

これ以後、この卵切りの風景を、私は何度も眼にすることになります。自分でもやってみましたが、殻も入りますし、黄身がこぼれることもあります。やはり手で剥いたほうが上手に食べられますが、お国柄とはこういうものだと思いました。
Takeshi Mogi
2008年03月09日
美しい日本の私 9
美しい日本の私 9
ウィーンで、多くの名所を訪ねました。ことにウィーンの中心のリングと呼ばれる円形の城壁跡の内側は旧市街で、グスタフ・クリムトの作品を所蔵するベルヴェデーレ、屋根の文様の美しいゴシック建築のザンクト・シュテファン寺院、演劇の催されるブルク・テアターなど、どこも興味深く、素晴らしい場所でした。その中でも、自分にとって特別な場所が国立歌劇場でした。

今世紀始めにはグスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウスが、戦後はカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンが総監督となって最高の音楽を提供してきました。その劇場は19世紀中盤に建てられた新しいものですが、自分の知るクラシック音楽の世界とよく重なるため、愛着がありました。
夏、劇場のスタッフ(オーケストラ、合唱団、大道具方、小道具方、衣装係、その他)はザルツブルクの音楽祭に出張しているか、休暇を取っているため、上演はありません。が、見学ツアーがあったので参加しました。美しい客席の向こうで舞台装置のメンテナンスが行なわれていました。その舞台は驚くほど広く、奥行きは客席の倍、舞台の左右には舞台と同じほどの大きな空間があり、舞台の上には幕や装置や照明を吊る機構がはるか上まで伸びていました。そのシステムは技術の革新と共に何度も改修されてきたのでしょうが、外観、客席、観客が幕間を過ごす回廊などは百数十年前のクラシックな姿、フランツ・ヨーゼフ1世の時代そのままでした。が、その建物が終戦間近の1945年に、空襲で焼け落ちたことも知っていました。焼け残った一部は再建の折に残されたのかもしれませんが、そのほとんどはオリジナルそのままに建て直された新しいものだったのです。
ウィーンの空襲がどのようなものだったのか、ウィーンの戦中戦後がどうだったか、焼け落ちた国立歌劇場がどのようなプロセスで再建されたか私は詳しくは知りませんが、終戦を迎えたウィーンでは数ヶ月のうちに代替の劇場で上演が始まり、10年を掛けた修復の後、国立歌劇場は以前と同じように運営を始めました。
こうした修復はドイツではより大規模に行なわれたようです。美しい古都のニュルンベルクは空襲で街のほとんどが瓦礫と化しましたが、今は何事もなかったかのように、美しい古都の姿が城下に広がっています。行ったことはありませんが、ドレスデンの街は戦後50年以上も掛けて多くの建築物が再建されました。中には、破壊した国の人々の協力を得て修復されたものもあります。もちろん、どこも昔の様を取り戻したわけではなく、新しい街に生まれ変わったところが多いでしょう。
ウィーンの国立歌劇場が建設当初のまま存在しているなら、それに越したことはありません。(もちろん、戦争がなければそれが一番です。)しかし、破壊された建物が丁寧に復元され、かつての姿を取り戻し、今も同じように使われていることに、不思議な感動を覚えたのも確かです。
Takeshi Mogi
ウィーンで、多くの名所を訪ねました。ことにウィーンの中心のリングと呼ばれる円形の城壁跡の内側は旧市街で、グスタフ・クリムトの作品を所蔵するベルヴェデーレ、屋根の文様の美しいゴシック建築のザンクト・シュテファン寺院、演劇の催されるブルク・テアターなど、どこも興味深く、素晴らしい場所でした。その中でも、自分にとって特別な場所が国立歌劇場でした。

今世紀始めにはグスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウスが、戦後はカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンが総監督となって最高の音楽を提供してきました。その劇場は19世紀中盤に建てられた新しいものですが、自分の知るクラシック音楽の世界とよく重なるため、愛着がありました。
夏、劇場のスタッフ(オーケストラ、合唱団、大道具方、小道具方、衣装係、その他)はザルツブルクの音楽祭に出張しているか、休暇を取っているため、上演はありません。が、見学ツアーがあったので参加しました。美しい客席の向こうで舞台装置のメンテナンスが行なわれていました。その舞台は驚くほど広く、奥行きは客席の倍、舞台の左右には舞台と同じほどの大きな空間があり、舞台の上には幕や装置や照明を吊る機構がはるか上まで伸びていました。そのシステムは技術の革新と共に何度も改修されてきたのでしょうが、外観、客席、観客が幕間を過ごす回廊などは百数十年前のクラシックな姿、フランツ・ヨーゼフ1世の時代そのままでした。が、その建物が終戦間近の1945年に、空襲で焼け落ちたことも知っていました。焼け残った一部は再建の折に残されたのかもしれませんが、そのほとんどはオリジナルそのままに建て直された新しいものだったのです。
ウィーンの空襲がどのようなものだったのか、ウィーンの戦中戦後がどうだったか、焼け落ちた国立歌劇場がどのようなプロセスで再建されたか私は詳しくは知りませんが、終戦を迎えたウィーンでは数ヶ月のうちに代替の劇場で上演が始まり、10年を掛けた修復の後、国立歌劇場は以前と同じように運営を始めました。
こうした修復はドイツではより大規模に行なわれたようです。美しい古都のニュルンベルクは空襲で街のほとんどが瓦礫と化しましたが、今は何事もなかったかのように、美しい古都の姿が城下に広がっています。行ったことはありませんが、ドレスデンの街は戦後50年以上も掛けて多くの建築物が再建されました。中には、破壊した国の人々の協力を得て修復されたものもあります。もちろん、どこも昔の様を取り戻したわけではなく、新しい街に生まれ変わったところが多いでしょう。
ウィーンの国立歌劇場が建設当初のまま存在しているなら、それに越したことはありません。(もちろん、戦争がなければそれが一番です。)しかし、破壊された建物が丁寧に復元され、かつての姿を取り戻し、今も同じように使われていることに、不思議な感動を覚えたのも確かです。
Takeshi Mogi
2008年03月06日
美しい日本の私 8
美しい日本の私 8
それからまたシュトラーセン・バーンに乗ってシェーンブルン宮殿に行きました。当時私は大学生で、日本で取得した国際学生証を持ち歩いていました。それを見せると多くの美術館や博物館は入場料無料で、料金をとられる場合もとても安くて済みました。ハプスブルク家の大きな宮殿を見学し、さらに庭に出て丘の上の三連アーチまで上がると、夕暮れの中でウィーンの町は金色に輝いていました。
シェーンブルンを後にし、私はホテルに向かいましたが、知っている店があったので下車しました。緑の看板のヴィーナー・ヴァルトというお店です。チェーン店で、日本にもお店を持っていたことがあります。ロースと・チキンがとても安く、持ち帰りだと半身で500円くらいだったと記憶しています。当時はヨーロッパ統合など話にも出ない時代で、通貨もシリングでした。店で食べると価格は倍ですが、たまにはスープやワインも欲しかったので、お店で食べることにしました。

おなかがいっぱいになったので、シュトラーセン・バーンに乗って宿へ戻ることにしました。外はもう真っ暗でした。停留所で止まると、黒人の青年が乗ってきました。とつぜん、ウェスト・バーンホフ(西駅)と私に聞きます。他にも人が居るのに、なぜ私に聞くのかなとも思いましたが、「これでウェスト・バーンホフに行ける」とドイツ語で答えると、変な顔をしています。英語で答えると、「サンキュー」と帰ってきました。アメリカから来たといいます。旅行者には見えません。話が続かないので、そのまま静かにしていました。ウェスト・バーンホフに着いたので、ここだと言うと、彼は降りてゆきました。
Takeshi Mogi
それからまたシュトラーセン・バーンに乗ってシェーンブルン宮殿に行きました。当時私は大学生で、日本で取得した国際学生証を持ち歩いていました。それを見せると多くの美術館や博物館は入場料無料で、料金をとられる場合もとても安くて済みました。ハプスブルク家の大きな宮殿を見学し、さらに庭に出て丘の上の三連アーチまで上がると、夕暮れの中でウィーンの町は金色に輝いていました。
シェーンブルンを後にし、私はホテルに向かいましたが、知っている店があったので下車しました。緑の看板のヴィーナー・ヴァルトというお店です。チェーン店で、日本にもお店を持っていたことがあります。ロースと・チキンがとても安く、持ち帰りだと半身で500円くらいだったと記憶しています。当時はヨーロッパ統合など話にも出ない時代で、通貨もシリングでした。店で食べると価格は倍ですが、たまにはスープやワインも欲しかったので、お店で食べることにしました。

おなかがいっぱいになったので、シュトラーセン・バーンに乗って宿へ戻ることにしました。外はもう真っ暗でした。停留所で止まると、黒人の青年が乗ってきました。とつぜん、ウェスト・バーンホフ(西駅)と私に聞きます。他にも人が居るのに、なぜ私に聞くのかなとも思いましたが、「これでウェスト・バーンホフに行ける」とドイツ語で答えると、変な顔をしています。英語で答えると、「サンキュー」と帰ってきました。アメリカから来たといいます。旅行者には見えません。話が続かないので、そのまま静かにしていました。ウェスト・バーンホフに着いたので、ここだと言うと、彼は降りてゆきました。
Takeshi Mogi
2008年03月05日
美しい日本の私 7
美しい日本の私 7
ザルツブルク大学の書きドイツ語講習の合間に、ウィーンへ小旅行に出かけました。ウィーンはオーストリアの首都、かつてはヨーロッパの中心だったこともある古い町です。
改札のないザルツブルクの駅から電車に乗って数時間、途中で車掌が切符を見に来ました。クラシックなコンパートメントの客車で6人掛け、車掌はしっかりの席に座った人を覚えていて、一度切符を見せてもらった客のところにはやってきません。窓からは森や林のほか、小さな町が何度も現れては遠くへ消えてゆきました。その町には必ず教会があり、教会を中心に町が形成されているような気がしました。
ウィーンの立派なウェスト・バーンホフに着いて最初にしたのは宿探しでした。駅のライゼ・ビュロー(観光案内所)で列に並ぶと前の人は日本人のようです。声を掛けると「NO,NO!」と返ってきました。話を聞くと、日系のアメリカ人でした。手に「ヨーロッパ1日20ドル」という本を持っていましたが、聞くと「これは嘘だ!」と笑いながら答えました。私は駅の近くの安宿を紹介してもらい、カバンを預けに行きました。

ドイツ、オーストリアの宿はどこもある程度の質が確保されており、安心でした。安い部屋を探すと共同のシャワーになりましたが、お湯は使い放題で、快適でした。お風呂は別料金というところもありました。私は荷物を置いて、ライゼ・ビュローで買ったネッツ・カルテと呼ばれる乗り放題のチケットを手に、ストラーセン・バーン(路面電車)に乗ってプラーターという公園へ出かけました。プラーターにはリーゼン・ラドと呼ばれる古い大観覧車があり、それに乗ると美しいウィーンの町を見渡すことができました。
Takeshi Mogi
ザルツブルク大学の書きドイツ語講習の合間に、ウィーンへ小旅行に出かけました。ウィーンはオーストリアの首都、かつてはヨーロッパの中心だったこともある古い町です。
改札のないザルツブルクの駅から電車に乗って数時間、途中で車掌が切符を見に来ました。クラシックなコンパートメントの客車で6人掛け、車掌はしっかりの席に座った人を覚えていて、一度切符を見せてもらった客のところにはやってきません。窓からは森や林のほか、小さな町が何度も現れては遠くへ消えてゆきました。その町には必ず教会があり、教会を中心に町が形成されているような気がしました。
ウィーンの立派なウェスト・バーンホフに着いて最初にしたのは宿探しでした。駅のライゼ・ビュロー(観光案内所)で列に並ぶと前の人は日本人のようです。声を掛けると「NO,NO!」と返ってきました。話を聞くと、日系のアメリカ人でした。手に「ヨーロッパ1日20ドル」という本を持っていましたが、聞くと「これは嘘だ!」と笑いながら答えました。私は駅の近くの安宿を紹介してもらい、カバンを預けに行きました。

ドイツ、オーストリアの宿はどこもある程度の質が確保されており、安心でした。安い部屋を探すと共同のシャワーになりましたが、お湯は使い放題で、快適でした。お風呂は別料金というところもありました。私は荷物を置いて、ライゼ・ビュローで買ったネッツ・カルテと呼ばれる乗り放題のチケットを手に、ストラーセン・バーン(路面電車)に乗ってプラーターという公園へ出かけました。プラーターにはリーゼン・ラドと呼ばれる古い大観覧車があり、それに乗ると美しいウィーンの町を見渡すことができました。
Takeshi Mogi
2008年03月01日
美しい日本の私 6
美しい日本の私 6
ザルツブルクでの勉強が続きました。相変わらずレーラー・ハオスでシャワーを借りていました。あるとき、そのレーラー・ハオスの廊下で隣のクラスのKさんに会いましたが、凄く暗い顔で沈んだまま歩いています。聞くと大変なホーム・シックで食欲もないと言います。少し話していると、それでもちょっと明るくなってきました。ラジオをつけて、音楽を聴いていると、ちょっとニコッとして、頑張れそうな気がするかな、と言いました。
レーラー・ハオスでは他にも仲良くなった人がいました。作曲を大学で習っている人でした。ある時、これから教会のオルガンを借りて練習をしますが、聴きに来ますかと誘われました。私は、そんな楽しそうな話はないとついてゆきました。
ザルツブルクの小さな教会で、神父さんがあれこれと説明した後、彼は練習を始めました。「これと、このキーからは音が出ません、キーを押すときは、やさしくと神父さん言ってたでしょ、骨董品なんですよ。建物と一緒でね。強く叩くと、壊れちゃうんです。新品のピアノみたいにはいかないんです。
彼はバッハをなめらかに弾き始めました。2曲で20分ほど。とても楽しいひと時でした。その後、二人でお茶に行きました。
ある時、別の知人と絵を描きに行きました。川辺に座って、彼は画用紙に直接ペンで建物を描き、色を塗ってゆきました。画学生なので、とても上手です。ただし、独特のタッチで、どの建物も塔のように背高にデフォルメされ、建物の色もひどく強調されて、元の風景の面影はありませんでした。私は鉛筆で風景のままを描いてゆきました。彼は用があると帰りましたが、私は楽しかったのでそのまま続けました。

すると、後ろから声がします。お年寄りが私に言います。「お前はなぜこの絵の左に橋を入れる、バランスが悪いだろう、消したほうが良い」と言います。面白いので、いろいろと話をして、最後には文通しようと住所を交換しました。住所を見ると、どうやら老人ホームのようでした。「毎日ここを散歩する、だが、それも長くは続かないよ、もうちょっしたら、死ぬんだから」と言います。まあまあ、そんな事言わないでと言い、必ず手紙を書くからと約束しました。
それほど頻繁にではありませんが、その老人との文通は2年ほど続きました。が、ある時小さな通知文つきで戻ってきました。その紙には「受取人死亡に付き、返送いたします」とありました。もっと頻繁に返事を書いてあげればよかったかな、と思いました。
Takeshi Mogi
ザルツブルクでの勉強が続きました。相変わらずレーラー・ハオスでシャワーを借りていました。あるとき、そのレーラー・ハオスの廊下で隣のクラスのKさんに会いましたが、凄く暗い顔で沈んだまま歩いています。聞くと大変なホーム・シックで食欲もないと言います。少し話していると、それでもちょっと明るくなってきました。ラジオをつけて、音楽を聴いていると、ちょっとニコッとして、頑張れそうな気がするかな、と言いました。
レーラー・ハオスでは他にも仲良くなった人がいました。作曲を大学で習っている人でした。ある時、これから教会のオルガンを借りて練習をしますが、聴きに来ますかと誘われました。私は、そんな楽しそうな話はないとついてゆきました。
ザルツブルクの小さな教会で、神父さんがあれこれと説明した後、彼は練習を始めました。「これと、このキーからは音が出ません、キーを押すときは、やさしくと神父さん言ってたでしょ、骨董品なんですよ。建物と一緒でね。強く叩くと、壊れちゃうんです。新品のピアノみたいにはいかないんです。
彼はバッハをなめらかに弾き始めました。2曲で20分ほど。とても楽しいひと時でした。その後、二人でお茶に行きました。
ある時、別の知人と絵を描きに行きました。川辺に座って、彼は画用紙に直接ペンで建物を描き、色を塗ってゆきました。画学生なので、とても上手です。ただし、独特のタッチで、どの建物も塔のように背高にデフォルメされ、建物の色もひどく強調されて、元の風景の面影はありませんでした。私は鉛筆で風景のままを描いてゆきました。彼は用があると帰りましたが、私は楽しかったのでそのまま続けました。

すると、後ろから声がします。お年寄りが私に言います。「お前はなぜこの絵の左に橋を入れる、バランスが悪いだろう、消したほうが良い」と言います。面白いので、いろいろと話をして、最後には文通しようと住所を交換しました。住所を見ると、どうやら老人ホームのようでした。「毎日ここを散歩する、だが、それも長くは続かないよ、もうちょっしたら、死ぬんだから」と言います。まあまあ、そんな事言わないでと言い、必ず手紙を書くからと約束しました。
それほど頻繁にではありませんが、その老人との文通は2年ほど続きました。が、ある時小さな通知文つきで戻ってきました。その紙には「受取人死亡に付き、返送いたします」とありました。もっと頻繁に返事を書いてあげればよかったかな、と思いました。
Takeshi Mogi
2008年02月29日
美しい日本の私 5
美しい日本の私 5
ザルツブルク大学の校舎を使ったドイツ語の夏季講座ではセミナーのほか、ザルツカンマーグートと呼ばれる湖水地方への遠足も含まれていました。この湖水地方は山々に囲まれた美しい地域で、風が弱いせいか波が小さく、湖面には彼方の山々や湖畔の家が綺麗に映し出されていました。

バスで回った幾つかの場所の中に、ハルシュタットと呼ばれる町がありました。木造の家の多い、古い町で、小さな町なのに博物館がありました。展示物は世界のさまざまな民族の道具や楽器、服飾品などがあったように思いますが、近くの岩塩採掘所で見つかった人々の骨や副葬品の展示もありました。当時からヨーロッパの古代には強い興味は抱いていましたが、これが有名な紀元前5世紀のケルト人の遺物だということは、ずっと後になって気づいたのでした。
ビールを飲みながら昼食を取り、岸辺を歩いて散歩すると、船着場のようなところにプールサイドにあるような、水に入るためのはしごがありました。誰か泳ぐのだろうかと覗き込みました。水は綺麗でしたので手を入れてみましたが、到底泳げるような温度ではありませんでした。何のためについているのか分からないはしごの向こうの水面には、緑に輝く山の風景が映し出されていました。
Takeshi Mogi
ザルツブルク大学の校舎を使ったドイツ語の夏季講座ではセミナーのほか、ザルツカンマーグートと呼ばれる湖水地方への遠足も含まれていました。この湖水地方は山々に囲まれた美しい地域で、風が弱いせいか波が小さく、湖面には彼方の山々や湖畔の家が綺麗に映し出されていました。

バスで回った幾つかの場所の中に、ハルシュタットと呼ばれる町がありました。木造の家の多い、古い町で、小さな町なのに博物館がありました。展示物は世界のさまざまな民族の道具や楽器、服飾品などがあったように思いますが、近くの岩塩採掘所で見つかった人々の骨や副葬品の展示もありました。当時からヨーロッパの古代には強い興味は抱いていましたが、これが有名な紀元前5世紀のケルト人の遺物だということは、ずっと後になって気づいたのでした。
ビールを飲みながら昼食を取り、岸辺を歩いて散歩すると、船着場のようなところにプールサイドにあるような、水に入るためのはしごがありました。誰か泳ぐのだろうかと覗き込みました。水は綺麗でしたので手を入れてみましたが、到底泳げるような温度ではありませんでした。何のためについているのか分からないはしごの向こうの水面には、緑に輝く山の風景が映し出されていました。
Takeshi Mogi
2008年02月27日
美しい日本の私 4
美しい日本の私 4
下宿先はお風呂やシャワーの使用が制限されていました。お風呂なら週1回、シャワーなら2回といわれました。そこで、語学学校の仲間の多くが下宿しているレーラー・ハオス(学校の寮だったのだと思います)にシャワーを借りに行きました。寮は大きく庭もあり、みな知り合いだったので共用のシャワーを使っても何も言われませんでした。
暑い夏の日にレーラー・ハオスに向かう途中、ガスト・ハオス(ご飯の食べられる酒場)の窓から若い男がビールを飲んでいるのが見えました。我慢ができずに入りましたが、中はさほど涼しくありません。この国でクーラーは見たことがなく、扇風機を眼にしたのも1回きりでした。ますます我慢ができずにヴァイス・ビーアを注文しました。普通のビールは1リットルですが、小麦ビールは500mlです。濁った金色の液体には半分に切ったレモンが浮いていました。ガスト・ハオスには男性は一人、老人が一人、窓から見えた男性には女性の同伴者がいました。私は酸味のある液体をあっという間に飲み干して、レーラー・ハオスに向かいましたが、入ってから出るまで、誰も動かず、言葉もなく、一口も飲まず、時間は止まったようでした。

レーラー・ハオスに着いてもほとんど誰もいませんでした。ビールが効いて汗だらけ、低い温度のシャワーを浴びると、すばらしく気持ちが良く、汗を拭いて庭に出るとベンチで横になりました。
しばらくすると知っている顔が数人づつ帰ってきました。涼しくなったので、私は来た道を戻り、途中でソーセージとパンを買って帰りました。下宿の流しには電熱式の給湯器が付いていましたが、ほとんど熱湯に近い熱さだったので、それでソーセージを暖めて食べました。
窓の外を見ると雨が降っていました。ザルツブルクでは毎夜雨が降るのです。
Takeshi Mogi
下宿先はお風呂やシャワーの使用が制限されていました。お風呂なら週1回、シャワーなら2回といわれました。そこで、語学学校の仲間の多くが下宿しているレーラー・ハオス(学校の寮だったのだと思います)にシャワーを借りに行きました。寮は大きく庭もあり、みな知り合いだったので共用のシャワーを使っても何も言われませんでした。
暑い夏の日にレーラー・ハオスに向かう途中、ガスト・ハオス(ご飯の食べられる酒場)の窓から若い男がビールを飲んでいるのが見えました。我慢ができずに入りましたが、中はさほど涼しくありません。この国でクーラーは見たことがなく、扇風機を眼にしたのも1回きりでした。ますます我慢ができずにヴァイス・ビーアを注文しました。普通のビールは1リットルですが、小麦ビールは500mlです。濁った金色の液体には半分に切ったレモンが浮いていました。ガスト・ハオスには男性は一人、老人が一人、窓から見えた男性には女性の同伴者がいました。私は酸味のある液体をあっという間に飲み干して、レーラー・ハオスに向かいましたが、入ってから出るまで、誰も動かず、言葉もなく、一口も飲まず、時間は止まったようでした。

レーラー・ハオスに着いてもほとんど誰もいませんでした。ビールが効いて汗だらけ、低い温度のシャワーを浴びると、すばらしく気持ちが良く、汗を拭いて庭に出るとベンチで横になりました。
しばらくすると知っている顔が数人づつ帰ってきました。涼しくなったので、私は来た道を戻り、途中でソーセージとパンを買って帰りました。下宿の流しには電熱式の給湯器が付いていましたが、ほとんど熱湯に近い熱さだったので、それでソーセージを暖めて食べました。
窓の外を見ると雨が降っていました。ザルツブルクでは毎夜雨が降るのです。
Takeshi Mogi
2008年02月27日
美しい日本の私 3
美しい日本の私 3
ザルツブルクは観光地で、行くべきところはたくさんありました。サウンド・オブ・ミュージックもここで撮影されました。丘の上の城からの景色は美しく、場内の武器博物館には興味深い展示がいっぱいでした。ほとんど空だったと思いますが、モーツァルトの生家、美しいドーム、美術館など。

町は音楽と演劇の祝祭、ザルツブルク・フェストシュピールの只中で、2つの祝祭劇場では毎夜のように最高の演奏が奏でられ、中央広場ではホフマンスタールのイエーダマンが上演されました。行きたくとも、こうしたチケットは発売と同時に売り切れ、私たちの手には入りません。そこで、有名な人形劇場に行ってオペラを見ました。音楽こそ録音ですが、劇場もクラシックで美しく、人形の動きは人手で動かしているとは思えないほど滑らかでした。
ザルツブルクからバスでしばらく走ると、ヘルブルンの離宮があります。美しい庭、数多くの趣向を凝らした噴水、大きくはないけれど品の良い宮殿で、ある日市民音楽祭が開かれました。価格は安く、離宮のさまざまな場所で行われる音楽、コメディアン・デ・ラルテ(笑劇)、オペラは超一流でなくとも楽しいものでした。庭園の奥には石窟の劇場があり、ゲーテのものとは異なるファウストの上演がありましたが、こちらは別料金で見ることができませんでした。
離宮のレストランで肉料理を食べたのですが少なくて足らず、街中へ戻ってからビールでソーセージを食べました。
Takeshi Mogi
ザルツブルクは観光地で、行くべきところはたくさんありました。サウンド・オブ・ミュージックもここで撮影されました。丘の上の城からの景色は美しく、場内の武器博物館には興味深い展示がいっぱいでした。ほとんど空だったと思いますが、モーツァルトの生家、美しいドーム、美術館など。

町は音楽と演劇の祝祭、ザルツブルク・フェストシュピールの只中で、2つの祝祭劇場では毎夜のように最高の演奏が奏でられ、中央広場ではホフマンスタールのイエーダマンが上演されました。行きたくとも、こうしたチケットは発売と同時に売り切れ、私たちの手には入りません。そこで、有名な人形劇場に行ってオペラを見ました。音楽こそ録音ですが、劇場もクラシックで美しく、人形の動きは人手で動かしているとは思えないほど滑らかでした。
ザルツブルクからバスでしばらく走ると、ヘルブルンの離宮があります。美しい庭、数多くの趣向を凝らした噴水、大きくはないけれど品の良い宮殿で、ある日市民音楽祭が開かれました。価格は安く、離宮のさまざまな場所で行われる音楽、コメディアン・デ・ラルテ(笑劇)、オペラは超一流でなくとも楽しいものでした。庭園の奥には石窟の劇場があり、ゲーテのものとは異なるファウストの上演がありましたが、こちらは別料金で見ることができませんでした。
離宮のレストランで肉料理を食べたのですが少なくて足らず、街中へ戻ってからビールでソーセージを食べました。
Takeshi Mogi
2008年02月26日
美しい日本の私 2
美しい日本の私 2
オーストリア、ザルツブルクでの3週間の語学研修が始まりました。ザルツブルク大学の校舎で行われる夏期講習はレベル別クラス分け試験で始まりました。私は受験のときの習慣で、回答が分からなくても回答を選んだため、高めのクラスに送られ、苦労しました。私のクラスは中の上くらいで、多くはイタリア人、他にポーランド人、イングランド人、ユーゴスラビア人、日本人などがいました。当時は共産圏がまだ健在でした。ワルシャワから来たS君や、ユーゴスラビアから来たGさんとはしばらく文通をしていましたが、彼らがその後の激動の時代を乗り越えられたのかどうかは分かりません。

授業は日本の語学の授業と変わりませんが、何から何までドイツ語でした。クラスで一緒に勉強する人たちとも、ドイツ語以外のコミュニケーション方法はありませんでした。授業は分かる部分と分からない部分がありましたが、特に困ったのは文法用語でした。すぐに慣れましたが、日本のドイツ語の授業では文法用語、過去形とか未来系とかは日本語で習いますので、習う機会がなかったのです。
授業は楽しかったけれど、授業の合間や食堂での雑談の方が楽しかったです。授業は午前で終わったので、午後は町中を歩き回りました。セミナーもあったのですが、レベルが高く、ほとんど欠席しました。
ザルツブルクは古い美しい町、モーツァルトの町で、音楽の町、ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスの町です。小高い丘にはホーヘン・ザルツブルクが立ち、街中には大きな教会が、町の中心には川が流れ、周囲を見回すとすべての方向に森と丘が連なっていました。
Takeshi Mogi
オーストリア、ザルツブルクでの3週間の語学研修が始まりました。ザルツブルク大学の校舎で行われる夏期講習はレベル別クラス分け試験で始まりました。私は受験のときの習慣で、回答が分からなくても回答を選んだため、高めのクラスに送られ、苦労しました。私のクラスは中の上くらいで、多くはイタリア人、他にポーランド人、イングランド人、ユーゴスラビア人、日本人などがいました。当時は共産圏がまだ健在でした。ワルシャワから来たS君や、ユーゴスラビアから来たGさんとはしばらく文通をしていましたが、彼らがその後の激動の時代を乗り越えられたのかどうかは分かりません。

授業は日本の語学の授業と変わりませんが、何から何までドイツ語でした。クラスで一緒に勉強する人たちとも、ドイツ語以外のコミュニケーション方法はありませんでした。授業は分かる部分と分からない部分がありましたが、特に困ったのは文法用語でした。すぐに慣れましたが、日本のドイツ語の授業では文法用語、過去形とか未来系とかは日本語で習いますので、習う機会がなかったのです。
授業は楽しかったけれど、授業の合間や食堂での雑談の方が楽しかったです。授業は午前で終わったので、午後は町中を歩き回りました。セミナーもあったのですが、レベルが高く、ほとんど欠席しました。
ザルツブルクは古い美しい町、モーツァルトの町で、音楽の町、ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスの町です。小高い丘にはホーヘン・ザルツブルクが立ち、街中には大きな教会が、町の中心には川が流れ、周囲を見回すとすべての方向に森と丘が連なっていました。
Takeshi Mogi
2008年02月26日
美しい日本の私 1
美しい日本の私 1
それはもう二十数年前。私が大学4年のことです。私は専門外のドイツ語にはまっていました。語学で身を立てられないかと悩んでいた時期でもあります。毎日のようにドイツ語を訳し、ドイツ語のオペラに心酔していました。
当然ドイツに行きたくなり、親に頼み込んで金を借り、夏休みにオーストリアのザルツブルクへ語学研修に行きました。よく覚えていませんが、フランクフルト経由でミュンヘン、バスでザルツブルクだったと思います。黄色い壁、香水の香りの町でした。行く前にオーストリア方言を習いました。私はそういうことが好きでした。土地を理解し、吸収し、同化することは微妙な選択でしたが、どうせ外国人の私なら、変でもともとと考えました。
ザルツブルクではL夫人のお宅の3階に下宿しました。息子さんがジークフリート、お嬢さんがジークリンデ、凄い名前だなと思いましたが、明るい普通の家庭でした。L夫人はケーキ作りが上手で、毎週日曜の朝はパンでなくケーキが出ました。家の前に大きな胡桃の木があり、胡桃のケーキを焼いてくれました。部屋はちょっと暗い古い部屋でしたが、綺麗に補修されていて、居心地はとてもよかったです。窓は二重で、冬の寒さだけでなく、夏の暑さもさえぎってくれました。ザルツブルクは毎日雨が降ります。
最初の夜、ベットに横になると遠く離れた場所でひとりだと実感し、ホームシックになりました。ところが、だから何だろう、自分は本当に自由じゃないかと考えると、寂しさは消えて、不思議なくらい陽気になりました。最初で最後のホームシックは、数分で終わりとなりました。
Takeshi Mogi
それはもう二十数年前。私が大学4年のことです。私は専門外のドイツ語にはまっていました。語学で身を立てられないかと悩んでいた時期でもあります。毎日のようにドイツ語を訳し、ドイツ語のオペラに心酔していました。
当然ドイツに行きたくなり、親に頼み込んで金を借り、夏休みにオーストリアのザルツブルクへ語学研修に行きました。よく覚えていませんが、フランクフルト経由でミュンヘン、バスでザルツブルクだったと思います。黄色い壁、香水の香りの町でした。行く前にオーストリア方言を習いました。私はそういうことが好きでした。土地を理解し、吸収し、同化することは微妙な選択でしたが、どうせ外国人の私なら、変でもともとと考えました。
ザルツブルクではL夫人のお宅の3階に下宿しました。息子さんがジークフリート、お嬢さんがジークリンデ、凄い名前だなと思いましたが、明るい普通の家庭でした。L夫人はケーキ作りが上手で、毎週日曜の朝はパンでなくケーキが出ました。家の前に大きな胡桃の木があり、胡桃のケーキを焼いてくれました。部屋はちょっと暗い古い部屋でしたが、綺麗に補修されていて、居心地はとてもよかったです。窓は二重で、冬の寒さだけでなく、夏の暑さもさえぎってくれました。ザルツブルクは毎日雨が降ります。
最初の夜、ベットに横になると遠く離れた場所でひとりだと実感し、ホームシックになりました。ところが、だから何だろう、自分は本当に自由じゃないかと考えると、寂しさは消えて、不思議なくらい陽気になりました。最初で最後のホームシックは、数分で終わりとなりました。
Takeshi Mogi









